ヨーロッパ中の王室や上流階級の人々を魅了した珠玉の工芸品、アンティークレースは多くの女性の労働者の手によって紡がれてきました。
家計を助ける彼女たちの大切な収入源であったレース作りは、ファッションの変化や産業革命の時代にマシンレースが生まれたことによって、衰退の道を辿ります。
ではマシンレースとはハンドメイドのレース産業を滅ぼしてしまった原因でしかないのでしょうか?
今回はアンティークレースの種類の中から、マシンレースについてご紹介します。
マシンレースの誕生
アンティークレースのハンドメイドは刺繍レース、ニードルポイント・レース、ボビン・レースの項でご紹介したように、多くの女性たちが手作業で行っていたものです。
繊細で儚げな糸を傷つけないように、農作業などでまだ手が荒れていない若い女性が編み手に選ばれました。
限られた灯りのもとで非常に細かい作業をせねばならず、さらに長い労働時間を強いられたため、30歳になる前に盲目になってしまう女性たちもいたほどでした。
そんな過酷なレース産業の世界にマシンレースが登場したのは、ネットを作るためにストッキングフレームを利用した18世紀半ば頃です。
この方法は1本の糸を使用してメリヤス編みで作成したため、編み物のようにほどけてしまう欠点がありました。
マシンレースの改良
その後もマシンは改良を続け、18世紀後半にワープ・フレームが発明された事により、正方形のネットや六角形のメッシュができるようになり、のちにはダイヤモンド型のメッシュも作成されるようになりました。
イギリスでは1808年にジョン・ヒースコートによるボビンレース・マシンが発明され、イギリスのレース産業は新たな歴史を刻み始めます。
刺繍用のチュールも、1820年代頃にはフランスで生産されるようになりました。
複雑なデザインを作成するマシンレース
マシンレースはさらに発展を遂げて、きめ細やかなデザインを持つレースを作成することに成功します。
初期のネットはかがり縫いなどで手作業で刺繍されていましたが、プッシャーマシンの発明によりこれもマシンで作ることができるようになりました。
さらに穴の空いた模様のネットも作成でき、1840年代までにはヴァランシエンヌ・レースやメヘレン・レース、バッキンガムシャー・レースなどもマシンで作る事ができるようになったのです。
これらのデザインをマシンで出来るようになったのは、パンチカードを利用し、織物をパターン通りに仕上げられるジャガード織機がフランスで発明された事が大きく関係しています。
さらに19世紀後半には刺繍を施した基布を溶かし、刺繍糸だけを残すケミカルレースがスイスで発明され、レティセラやプント・イン・アリア、ホニトンやブリュッセル・レースなどの繊細なデザインのレースが模倣されています。
マシンレースがもたらした衰退
進化を遂げたマシンレースはハンドメイドに比べ、より早く、より多くのレースを作ることができるようになりました。
これらのマシンレースはハンドメイド・レースのデザインをコピーしたものとはいっても、非常に精巧であり、専門家でさえ見分けができないものも多くありました。
生産量が増えたためにレースの価格は安くなり、レースはそれまでの上流階級の人々のみが手にする事のできるものではなくなっていきました。
ハンドメイドのレース産業はビジネスとしてマシンレースに対抗する事はできず、王室や上流階級の裕福な人々だけが、特別なオーダーの際のときにハンドメイドのレースを注文するようになったのです。
産業革命の恩恵
しかしその反面、マシンレースの発明により多くの人々が工場で職を得ることができるようになり、また女性たちが低賃金で失明を恐れながら長時間働くこともなくなりました。
また、それまでは限られた人々しか手に入れることのできない存在であったハンドメイドのレースに代わり、同じクオリティを持つマシンレースを一般の人々が購入することができるようになったのです。
現在、手の届く価格のアンティークレースが多く残されているのは、マシンレースがもたらしてくれた恩恵であるとも言えるでしょう。
レースを身近に感じられる暮らしに
ハンドメイドのレースの衰退に繋がったと言われるマシンレースは、作り手の思いがこもっていないものと見られがちな存在ですが、最初から非常に高額なハンドメイドのレースを手に入れるのは、ハードルが高く感じられるかもしれません。
レースの魅力に惹かれた方は、まずは身近に感じられるマシンレースを暮らしに取り入れてみてはいかがでしょうか。
その美しさに酔いしれてこそ、ハンドメイドのレースの素晴らしさをより深く知る事ができるに違いありません。
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